DATE 2018.07.20

02 意識と無意識のあいだ

グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが、妊娠して日々変化する体から、今まで見えなかったことに日々出会い、新陳代謝していく景色を綴るエッセイ。

7か月に入り、お腹はパンパン。わたしのお腹と子の成長曲線はかなりの右肩上がりらしく、誰に会っても、見知らぬ人にさえも、「そろそろ出産間近ですか?」と言われる今日この頃。呼吸はまるでお相撲さん状態、ちょっと動くとすぐにハアハア言っております。
重い、眠い、そんな昨今の、とある休日。その日は家の掃除をしたくらいで、あー疲れたとベッドにごろごろ寝転がりながら、時間があるときに読みたいと思っていた美術と写真の変遷の本をのんびり読みはじめた。先人たちの表現が、その拡張もしくは反動により様々に更新してきた過程とその歴史が綴られており、しげしげと読む。へーこの表現があったから次のこの作家が生まれたのかー、おー逆にあっちの作家たちの表現は反動的にでてきたのかーなどと、お腹のなかの明らかな胎児の動きをにょろり感じながらも、重い腹を右にし左にして、ごろごろと寝転がりながら読んでいた。脈々と繋がった文脈のもとに更新が続く美術は、現代になるにつれてある種のルールのもとに行われている陣取りゲームのよう。
ゆっくりページをめくりながらこのベッドに横たわるのは、その秩序だった作為的行為を想像している”頭”と、それとはまったくもって無関係な、にょろにょろと混沌たる動きが内部で発生している”腹”。そして無作為な激しいにょろりには度々本をさえぎられるので、このにょろりにより、ふと、その”頭”と”腹”の距離を感じる。それは、天と地の程の、だいぶコントラストのある距離だった。しばらくして、なんだか私は一瞬にして空虚になり、ポイと本を投げ出す。そして本ではなくしげしげと腹を見つめ、感じる動きに、おーいと声をかけポンポンと触る。
  精子は自ら進んで歩み、卵は自らそれを受け入れ、そこから自然に、自ずと芽生え、育ち産まれてくるものの不思議が自分の体内にあるという事件。自分が生きていることも含めて、生命は水や空気のように、あるようでないような、透明な当然のこととされ日常が過ぎて行くけれど、この事件を腹に抱えていると、そんな当然なことなんて、ほんとうは何ひとつないのだと感じる。
意識のもとの作為的行為と、無意識のもとの無作為的な生理現象を比べたら、無意識なんて声にならないし見えにくいし聴こえにくいから、どうやっても無意識的な事象なんて日常では非常に認知されにくくそりゃどうしたって分かりやすく意識的に行われる作為に対してが、対話され、構築され、綴られ、歴史となっていく。だけど、今自分の中で起きている無作為的な生理現象は、認知しづらいこれまでとは違い、非常に分かりやすく私に無意識を認知させてくれ、それはもう超歴史的大事件と言ってもよいくらい、そしてこっちの出来事もかなり美術的よと思うほどに、無意識の存在とその神秘を訴えてくる。
どのジャンルもそうなのだと思うけど、脈々と繋がってきた表現の歴史もまた、ほとんどが男性の歴史でもあるようで。けれど「自ら発生する」という生命の無意識の力がなければ、そもそも人はここに存在もせず表現もできず歴史も成り立ちもしない。その様々な歴史のゼロ地点をお腹の中に抱えてきた無数の女性たちの、歴史に残らない妊娠出産という行為。その目に見えない無数の彼女たちの脈々たる歴史を想像して、ちょっと果てしない気持ちになる。そしてその長い長ーい鎖の一点のごとくぽつんと存在する私の頭&腹、、。ふと、ジュディオングの「女は海ぃ~」ってフレーズを、生物学者の福岡伸一氏がまっすぐに立って私に向かい歌っている、というシュールな姿がぽっと頭に浮かぶ。
ああもう本を投げ出してこの数十分、もはや目の前の本からは、いきり立つものしか感じなくなってしまったが、この後に本を手に取り読みはじめる私に、本は意識の功績を教える一方で、この子は私に無意識の神秘を教え続けてくれるのだろうな。

BACKNUMBER 長嶋りかこ – こんにちはとさようならのあいだ。
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