絵本『ふゆ』が話題のスイス在住のアーティスト、こうのあおいインタビュー
イタリアのエッメ出版から葵さんの絵本『ふゆ』が刊行されたのは1972 年のこと。降り積もる真っ白な雪景色。雪の上には小さな動物たちの足跡が。これは一体、だれのもの……? 言葉も少なくとてもシンプルだけれど、高いデザイン性と愛らしいイラストレーションに大人も子どもたちも一瞬で虜になる1冊です。この40 年以上も前の絵本に日本語訳がつけられ、日本で紹介されることになったのは2012 年、つい最近のことです。
「アノニマ・スタジオの編集者の方が、イタリアのブックフェアで偶然、コライーニ社(イタリアの出版社)から復刊した『era inverno』(※『ふゆ』の原題)をみつけてくれたことがきっかけです。日本で出版したいとお話をいただいたときは、やはりうれしかったですよ。だって日本人だもの(笑)。でも、私は絵本作家じゃないと思っていて、たまたま、小さな絵本をいくつか作ったことがあるというだけ。あのね、やってちょうだいとお願いされると断れないの。イタリア社会ではそういうことがよくあります。ちょっとこれ手伝ってよ、ご飯でもごちそうするからさ、なんて言われてね。私の絵本もある意味、そういう自然な形、流れの中で生まれたものなんです」
と、話す通り、葵さんの肩書きはとてもむずかしい。雑誌や新聞などで活躍するイラストレーターであり、おもちゃや食器のイラスト、カーペット、ブランケットなどファブリックのデザインを手がけるデザイナーであり、その活躍の場所も日本、イタリア、スイス、ドイツなど世界各国に渡ります。そんなユニークなアーティスト、葵・フーバー・河野はどのように生まれたのでしょう?
「私が海外で活動するようになったきっかけは、やはり父の影響でしょうね。父は島の外をずっとみていた人だったから。私にも、英語はできるようになったほうがいいとか、外国に行くといいとずっと言っていました。絵を描きないさいとか、こういう職業につくといいとか言うことはなかったけれど、海外を知っておくことが大事だって、ある時、私の留学話を勝手にすすめてきたんです」
葵さんのお父さんは、日本のグラフィックデザインの礎を作った高名なグラフィックデザイナーの河野鷹思(たかし)さん。高校を卒業した葵さんは、東京藝術大学の図案科(現在のデザイン科)に入学していました。
「当時、西武百貨店でスウェーデンの有名デザイナー、スティグ・リンドベリの展示が開催されたんです。父はそのディスプレイやなんかのデザインをしていてリンドベリさんとも仲良くなっていました。北欧のデザインにも詳しかった父は、娘をスウェーデンに留学させたいと彼に相談したんです。私のほうも、日本の大学では当時デザインなんて言葉のない時代ですから、ろくにやりたい勉強もできていなかった。日本画の先生ばかりで、毛筆で国立博物館の絵巻物を模写したり、写生しにいったりとかそういうことが中心でした。私は、もっとポスターを作ったり、レタリングをしたりしてみたいと思っていたんです。もっとモダンなことをね。だから、向こうにいったら、なにか新しいことが学べるかもしれないと期待していたんですね」
そうしてスウェーデン王立芸術大学に留学した葵さんは、その1 年後、デザイン会議でヨーロッパへやってきた鷹思さんと訪れたイタリアで、のちに夫となるマックス・フーバーさんと出会います。これが、葵さんの第二の人生の転換点となったそう。
「日本でデザインの勉強をしていないものだから、スウェーデンではとても遅れている生徒だったんです。社会主義の国で、当時外国人を雇うような会社はなかった。だけれど、マックスは自分のスタジオに私を加えてくれたんですね。それで、イラストを描きなさいと言われたんです。マックスが手がけていた百貨店の新聞広告やパッケージなんかのね。それをたまたま目にしたムナーリさんから、絵本をださないかと誘われたんです」
スウェーデンからイタリア、ミラノへ。そして、絵本を手がけるきっかけとなった偉大なデザイナーであり、著名な絵本作家であるブルーノ・ムナーリとの出会いについて、次回、たっぷり語っていただきます。
〈こうのあおいの絵本〉