中村キース・ヘリング美術館|絵を描くのが好きな少女がへリングの「光と闇」に触れる
ファーストネームが「はな」、ミドルネームは「マチルダ」。ガーデニングを愛する母親に名付けられた、まさに花のように美しい11歳の少女。「黄色、赤、ピンクなど、明るい色が好き」と言う彼女は、鮮やかな 色の服に身を包み、中村キース・ヘリング美術館にやってきた。
「ママが、ユニクロでキース・ヘリングの傘を私に、T シャツを従兄弟に買ってくれたんです。それがきっかけで、キースのことを知りました。傘に描かれたパターンが好きで雨の日に時々使っています」
ヘリングは、誰もがアートに触れることができるよう、ストリートや駅など公共の場をキャンバスにしたり、T シャツやステッカーなど身近で安価なメディアを使ったりしたパイオニア的存在だった。1980年代に活躍した伝説のアーティストの作品は、この世を去って四半世紀以上経った今でも、本人が意図したかたちで広がり続けているようだ。
作品については知っていたが、彼の生い立ちは知らなかったというはなは、
「キースが小さい頃、アート好きのお父さんと一緒に絵を描いていたエピソードが面白かった」
と言う。クリエイティブな両親のもとで育つはなも、休日など時間がある時は、Tumblr からお気に入りの写真を選び、それを見ながら絵を描いて過ごす。小さい頃は、はなが輪郭を描き、6つ年下の妹が色を塗るというコラボレーションをしていたことや、母親の実家のあるオーストラリアでキャンプファイヤーをした後、炭を使ってストリートに大きな絵を描いた思い出も話してくれた。
「キースが、みんなに観てもらうために、地下鉄に絵を描いていたことが興味深い」
と言うはな。ヘリングは、チョークを使って公共の場に絵を描き、それらは雨が降ると消えていった。実際の作品は残らなくても、多くの人たちの記憶に残るストリートアートのように、彼女の記憶の中に黒い炭で描いた絵が残っているのだろう。
ヘリングの作品には、たくさんの人間や動物が登場するが、顔の表情が描かれていないアウトラインだけのものが多い。観る人が、いつもより体の動きに着目したり、頭の中で表情を想像したりする余白が残されている。はなの目には、彼らの表情はどう映ったのだろうか?
「幸せそうに見えました。ダンスを踊りながら楽しんでいるみたい。面白いポーズをした彫刻からは音楽が聞こえてきそうでした。キースが病気だったと知って、彼が描く人たちの顔が寂しそうにも見えました」。
はながよく描くのは女の子の絵で、いつも表情は同じだけど、色と洋服で気分を表すという。例えば、寂しい気分の時は、すべてモノクロで表現するといった具合に。色と感情がリンクしている彼女は、ヘリングの色使いを見て、
「カラフルだったので、楽しい気分になりました。そして彼の情熱を感じました」と話す。
常に子どもの心を失わず、「生と死」と向き合いながらも、夢や希望にあふれるメッセージを伝え続けたヘリング。彼の作品と人生に出会えたことは、感受性豊かなはなにとって、鮮やかな記憶として刻まれたことだろう。