第3回 : 教育の多様性とテクノロジー
母、父、子による、多幸感溢れる家族のポートレート。この3人は、アマナと東映デジタルセンター「ツークン研究所」が共創で生み出したデジタルヒューマン。彼らは『Fasu』メディアにおけるモデルファミリーを様々な角度から検証し、想定、キャラクタライズし、最新のテクノロジーによって生み出された「ちょっと先の未来を生きる」ファミリー像です。
連載第1回、そして第2回と登場してきた母親、父親。そしてこの度お目見えとなった、子どもによって構成されたこのファミリーは、近い未来はたしてどのようなかたちで、どのように暮らしているのでしょうか。「今は新しい産業革命みたいなことがリアルタイムで起きつつある最中」と語る緒方さんと共に、家族そして私たち人間たちが、これからどうテクノロジーと向かい合い、どんな教育が広がっていくのかを考えます。
高等教育に欠ける多様性
これまで僕自身が子どもたちの教育を見てきた印象でしかないのですが、初等教育や幼児教育はかつてに比べて多様化していますし、創造性を育む教育もかなり浸透して色々な選択肢があるなと感じました。ただ、子どもが大きくなってきた今、その先の中学、高校、大学の教育に目を向け始めると、あまり以前と変わっていないな、と感じています。
これまでお話ししたような新しい暮らし方や、国内を移動する生活を考えた時に、教育が一番固定化されていて障害になります。たとえば旅しながら学校には行けません。移住という観点からも、教育を受ける拠点を転々と移していけたら面白いなとは思いますが、まだまだ選択肢が狭くて実現は難しい。専門性のあるジャンルや、やりたいことが明確にあると、さらに絞られてきてしまいます。美術大学などもその一例です。
大学も東京をはじめとする都市部に集まっていますし、もう少し多様な高等教育機関が地方にも広がっていくといいなと思います。実は僕自身、大学を卒業後に、岐阜県のIAMAS(現:情報科学芸術大学院大学)という、メディアアート創世記に先駆けて創られた学校に行きました。地方には最先端のテクノロジーを学べたり、最先端の研究を行なっていたり、国際的な基準で講義を全て英語で行なっているような大学がいくつかありますが、まだまだその数は多くありません。でも、そうした学校から面白い人たちが出ているんですよね。
都市部以外にも多様な教育拠点を
子どもたちが自然の中で育った後に、結局、学校も仕事も東京を中心とした都市部にしかないような状況は残念です。状況がもっと変わって、教育の拠点が国内の各地域にもっと生まれるといいなと思います。
そんな中で秋田県の「AIU(国際教養大学)」や沖縄県の「OIST(沖縄科学技術大学院大学)」、最近では岐阜県の飛騨高山に2024年開校予定の「Co-Innovation University」や、2023年4月に開校した徳島県の「神山丸ごと高専」のような取り組みには注目しています。また、何度かお話を聞く機会があったのですが、高校2年生時に北海道から鹿児島まで提携している高校に1年間だけ国内留学するという「地域みらい留学 高2留学」という制度も面白いなと思いました。
もちろん、東京がダメだということではありません。東京は東京でありながら、それ以外の選択肢がもう少しあるといいな、ということです。仕事で色々なプロジェクトに関わっていると、知らず知らずに東京の感覚で物事を考えてしまいますが、地方に暮らしてみると、東京では当たり前なことが当たり前ではないことが多々あります。以前、毎夏ニセコで過ごしてリフレッシュした帰りに、上空の飛行機から東京を見下ろすたびに東京はすごいなぁと感じていました(笑)。そのくらいに違うんです。
そうした感覚を失わないためにも、東京という場所に縛られ過ぎないことが大切だと思っていて、今はテクノロジーがそれを可能にしてくれます。今回のコロナ禍は、あと数年早かったら皆もっと困っていたでしょうし、たとえば「Zoom」や「Microsoft Teams」のようなオンラインミーティングのプラットフォームがタイミングよく存在しなかったら、世の中はもっと混乱していたでしょう。そうしたテクノロジーのおかげでオンライン上であれば色々な場所へ瞬時に自由に行くことができるようになりましたし、暮らしの多様化にも繋がっていきました。
「N高等学校」のような取り組みも、場所に囚われないという観点から興味深いですよね。オンラインで入学でき、生徒が何万人もいるようですが、それだけの規模になると授業も皆に分かりやく教えるためにどんどん洗練されていっていると聞きます。効率化されることで基礎を学ぶのに時間もかからなくなり、空いた時間を自分の好きなことに使えるのもいいなと思います。
これからのテクノロジーとの付き合い方
今、新しい産業革命みたいなことがリアルタイムで起きつつある最中だと思いますが、自著『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』(BNN刊)にも書いたように、今までのテクノロジーは人間のパワーを拡張するようなものでした。すごく早く移動できたり、人間が持てないものを運べたり、加工できないものを加工したりとか。そうした道具や機械は、あくまでも人間の手足の延長みたいなものでした。ところがインターネットなどの情報テクノロジーができて、ネットワークが場所に依存せずに繋がるようになり、これから先はAIなどの出現によって大きなターニングポイントを迎えると、道具としてのテクノロジーとの付き合い方も変わってくると思います。
今までの道具は、あくまでも人間が使う道具でした。今後はテクノロジーそのものが自律性を持ちはじめますから、付き合い方はまた一段違うレベルのものになるはずです。その際、前回お話した「過剰と不足」の考察のように敵か味方かと二元論で判断せず、上手く付き合っていくとより多様な暮らし方や生き方を可能にするものになると思いますし、学びの場にも適切に活用できると、多様な教育のあり方が生まれてくるような気がします。
テクノロジーとの付き合い方としては、ブラックボックスにしないことが個人的には大事なポイントかなと思っています。完全に中身まで知る必要はありませんが、例えば今、テキストを打ったら画像を作ってくれるAIがあって、その原理を全部理解するのは難しくても、たとえば“こういう言葉を伝えるとこういう絵が出てくる“というようなことを分かっておくことが大事だと考えています。
手に持つノコギリみたいな昔ながらの道具は、その道具を見たらどう動かして使ったら良いかがわかりました。手や腕の延長のようなものでしたから。一方、今はスイッチを押せば機械が勝手に動いて、少し自分から離れたところで反応が起きるようになっている。さらにAIみたいなものになってくると、本当に人に何かを頼むのと近い感じになってくると思いますから、そこで全部任せてしまってその先を考えないということではなく、どういう風に言えばどういう風にやってくれるのか、そういうことを僕たち人間がきちんと学ぶことが必要になっていくのではないかと思っています。
最後に。テクノロジーの進化が母親の家事の負担を解決してくれるか否かについてのご質問ですが……家事の負担を減らすことができても、そもそもの男女間の家事の分担のアンバランスさに別の問題があるのかなと感じています。「気づいた方がする」というのが、細かいところに気づけない僕には苦手で。やはり家事ももう少し分担を明確にできたらいいのかなとは思っています。ただ、何かお伝えできるほど、この辺りのコミュニケーションについて自分自身できてはいないですね(笑)。
WHAT’S DIGITAL HUMAN?
ジェンダーや年齢、そして国籍などにとらわれることなく、リベラルでグローバルな教育をしたい。そして子ども自身の好きなこと、好きなもの興味関心を持ったことは、とことん追求させたい。
そんな思想を持つ両親に持つ彼は、『Fasu』ファミリーにおける子供像を、顔立ち、ヘアスタイル、スタイリング、ライフスタイルに至るまであらゆる角度とディテールからキャラクタライズし、生み出されたデジタルヒューマンです。
最新鋭のテクノロジーを用いて生み出されたこのデジタルヒューマンは、東映デジタルセンター「ツークン研究所」、及び『Fasu』を擁する私たちアマナにより「企業広告や、ファッションカタログ、またメディアにおけるモデル使用における様々な課題解決」を目的として開発されました。
このバーチャルモデルを用いることで得られるメリットは1. 人種、人選、肖像権問題にまつわるリスク回避 2.使用期限や版権の制限フリー 3.リモートによる発注から納品 4.インナーブランドの統一化 5.CGによる表現可能領域の拡大……ほか多数。コミュニケーション及びコスト、クオリティなど、モデル使用のあらゆるフェーズで生じるデメリットをミニマムにし、モデル表現の可能性を大きく広げていきます。
デジタルヒューマンが描き出す、新しいモデルのあり方と可能性、そして未来にご期待ください。
・この記事およびプロジェクトのお問い合わせは pr@amana.jp 宛にお願いいたします。