未来を切り拓く、子どもの自力を描く。ルーマニア発ドキュメンタリー『トトとふたりの姉』
「子どもってすごいな」と思うことがよくある。親がまったく憶えていないことをディテールまでを憶えていたり、使い方を知らない道具をすらすらと感覚で使うことができたり。子どもの“自力”は計り知れない、そんなことを改めて感じた映画が『トトのふたりの姉』だ。
舞台はルーマニアのブカレスト郊外。主人公は10歳の少年トト、ふたりの姉17歳のアナと14歳のアンドレアと、スラム街にあるアパートに住んでいる。母親は麻薬売買の罪で投獄され、父親の顔は知らず、保護者は誰もいない。しかしアパートには、次々に男が集まってくる。ドラッグ中毒者たちのたまり場になっているトトのアパートには、水道もコンロもなく、ソファベッドひとつと棚があるだけというひどい環境だ。
男たちが、腕や首すじに注射器を当てる横で、小さくなって眠るトト。部屋の明かりはつけっぱなし、毛布もかけられず、ゴミだらけの部屋には、夜通し男が集まってくる。
平和で、どんな子どもも最低限の教育や暮らしができている日本では、考えられない状況に衝撃を受ける。麻薬を打つ注射器からたった5cm、そんな近距離に子どもがいることが信じられない。しかし、これは紛れもない現実。トトら姉弟は実の姉弟で、今作は14ヵ月をかけて撮影されたドキュメンタリーである。
こんな状況で麻薬の誘惑に勝つことができず、アナは注射器を手に取ってしまう。タイミング悪く警察の麻薬捜査部隊が家に突入し、アナは逮捕され、トトはアンドレアとふたりになってしまった。
そんな中、トトが通っている児童クラブが企画したダンスの課外授業が開催される。トトは音楽に合わせて見よう見まねで踊りはじめるが、その姿はまるで水を得た魚。集中してダンスに向かう姿は、いつものトトとはひと味違うように見える。
出所したアナは、再びドラッグを手にしてしまう日々に。アンドレアは、自分たちのために、今までの暮らしを変えるために、トトとふたりで孤児院に入ることを決める。ダンスに夢中になったトトは授業の選抜メンバーに選ばれ、舞台やコンテストを目指す特別な授業をスタートさせる。練習を重ね、目標にしていた国際ヒップホップ大会に出場、2位となったトトの目には嬉し泣きの涙が光っている。
エンディングは、出所する母親をアンドレアとトトで迎えるシーンで締めくくられる。家に帰るトト一家は、幸せいっぱいかと思いきや重い雰囲気だった。言い訳をする母親、それに嫌気がさすアンドレア、うまく甘えられないトト。家族水入らずの時間は、実際は生々しく苦いものだった。
監督がプレスで語っていたことが印象的だ。「これは、人生のある地点で運命が決まってしまったかのような多くの子どもたちの物語とも言える。トトのような境遇に生まれたことは、運の問題でしかなく、彼ら自身の能力や向上心とは何ら関係がない。子どもたちが将来の夢や想像力を育む鍵となるのは、どのような大人を模範とし、どのような生活を送るかである」。
まさにその通りで、子どもの自力は、境遇や育った環境に関係はなく、みんなが持っているもの。トトと同じようにダンスが得意だったり、漢字が好きだったり、絵を描くのが上手だったり。自力は誰しもあるものだから、それをどう膨らますか、伸ばすかは、大人の存在や手助けする環境が大切だと言える。また、子ども自身が選ぶ力を持っている。
トトの表情や動作からも、それが分かる。ドラッグ中毒者があふれるボロアパートにいる時、ダンスを教わっている時。同じように振る舞っているように見えるが、アパートでは何か働きかけるようなことはせずちんまりと過ごし、ダンスの時は「これはおもしろそうだ」と乗り出して集中する。トトは過酷な状況に置かれながらも、自ら取捨選択をしているのだ。
映画館でぜひチェックして欲しいのが、カメラがとても自然にトトの過ごす空間に存在していることのすごさだ。まさに“透明なカメラ”と言える、親密な距離感。生々しく時には残酷に映し出された映像は、今ある現実の世界をまざまざと映し出す。不思議なフィット感のある映像に、誰もが入り込んでしまうはずだ。
子どもの自力を信じることは、簡単なようでいて難しい。つい親は手を出したくなるし、手を出しすぎてしまうから。でも、『トトとふたりの姉』 を観ると、少し変わるかもしれない。自分の力で人生を切り開き、人生をより良いものにしていこうとするトト姉弟が、どこにでもいる子どもたちの代表であり、わが子も同じであると気づかされるから。