映画『メモリーズ・オブ・サマー』“息子は小さな恋人”について考え直す
男の子を持つ母親は、「息子は小さな恋人」と感じる瞬間がある。私自身も男の子を持つ親として、そんな風に感じる時もあるけれど、正直「ママが恋人なんて、迷惑じゃない?」「小さいうちだけだよね」とそこまで深く考えたことがなかった。6月から公開される映画『メモリーズ・オブ・サマー』を観るまでは。
先に言えば、『メモリーズ・オブ・サマー』は、決してそんなお題をテーマにした作品ではない。12歳の少年ピョトレックが過ごしたひと夏の出来事を、美しく切なく切り取った叙情的ストーリーである。思春期ならではのどきどきやそわそわ、揺れ動く心情が丁寧に切り取られており、まるで昔味わったその頃に戻ったような感覚になる。
映像の美しさは言うまでもなく、作品全体に漂う静けさの中に「いつこの平和が壊れるのか」という不安な要素が充満していて、一瞬たりとも気を抜けないサスペンスフルなストーリーに釘付けになった。
思春期の少年の思いは、友達や異性にだけでなく母親にも向けられていた。母親は、整った体型で水着をさらりと着こなし、ミニスカートとノースリーブのシャツをはためかせながら自転車を乗りこなす魅力的な女性。父親は外国で出稼ぎ中。母とふたり、夏休みをのんびり過ごしている少年だった。
しかし母親は、会社の同僚と夜に出かけるようになる。毎晩のように家をあけはじめ、仕事に行く時とは違うおしゃれをし、うきうきしながら出かける母に、少年は不安を感じる。心配のあまり、時には母が出かけた後をつけていくこともあった。
少年は、出かける母の服にジュースをこぼしたり鍵を隠したりして、母親が出かけさせないようにする。しかし母は、そんな少年の気持ちを知ってか知らずか、毎夜出かけていくのだった。
少年にも新たな出会いがある。湖で出会った眼鏡をかけた弱そうな少年、都会からやってきた同い年くらいの少女、年上の不良グループ。それぞれとのアンサンブルは、多感な思春期ならではの出来事だ。優越感や劣等感、強者と弱者、憧れとはかない恋心、そして失恋。色々な出来事が少年心のひだに刻まれ、複雑な思いが積み重なっていく。
少年の気持ちに反して、母親はいつものように出かけてしまい、不安は増すばかり。そんな時、外国で働いている父親が帰ってくることに。喜ぶ少年だったが、母親は不安を隠せない。母は後ろめたいことがあり、少年から事実を暴かれることを恐れているようだった。
少年は、母を恋人のように思っていたのか。それとも大切な家族の1人として、手放したくなくて抵抗したのだろうか。本当の気持ちは少年にしか分からない。ただひとつ感じたのは、年頃の少年にはそれふさわしい距離感や母親らしい振る舞いが必要なのではということ。
この母は非常に美しく魅力的だが、少々自分を優先させすぎた気がする。もちろん母である前に1人の人間であり女性であり、人生を謳歌するのは素晴らしいことだ。ただ、少年は多感で未熟な12歳。色々なことを受け入れるには、まだそれほど人生経験を積んでいない。
“息子は小さな恋人”と考えると、そういったことを理解させるには、タイミングや時期が大切な気がする。何歳ならいいか、何歳からダメかはその子によって違うが、精神的に自立できているかどうかがポイントなのではないか。
オープニングとラストでは、夏休みが終わり、教会に向かう親子の様子が映される。雨に濡れた道路をずんずん進むと踏切が近くなる。このスリリングな一瞬は、夏休みに起こった様々な出来事を、少年がどう受け入れたかの答えでもある。美しくみずみずしい映像美の中で描かれる思春期の揺らぎと輝きを、ぜひラストまでじっくり堪能して欲しい。