DATE 2019.07.11

自分で文化を体験して、吸収してほしい。ふたつの国をルーツに持つ家族の子育て|それぞれ違う家族のかたち Vol.5

人が多様ならその分だけ家族も多様です。これが正解という家族のかたちがあるわけではありません。20年間のアメリカ生活を経て、家族全員で日本に移住。アメリカと日本、ふたつの国をルーツに持つビショフさん一家の家族のかたち。

言語だけでなく文化のハイブリッド

ドナルド・トランプの大統領就任後にアメリカを離れたという人の話を聞いたことがある。具体的に生活することが困難になった人もいれば、差別的な発言や敵味方を作っていくやり方への反発で出た人もいる。さまざまな立場や文化を尊重することは、日本からアメリカに移住した竹節さんと夫のジェフリーさんにとっても大切なことだった。
「日本に帰ってきたのは、娘を日本の学校に行かせたいと思ったからなんです。ただ私にとってもはや母国のようなアメリカを出ようと決める時、トランプ政権になったことは少しそれを容易にさせたかもしれません」

ジェフリー・ビショフ(55) シェフ
竹節珠加(46) クリエイティブプロデューサー
ビショフ竹節ジュリア(9)

竹節さんは、音楽の仕事を夢見て1997年にアメリカのロサンゼルスに渡る。レコード会社でDJの田中知之(FPM)さん等のマーケティングを担当した後、広告の仕事を経て、映画の道に進んでいった。シェフであるジェフリーさんとは移住後に知り合い、結婚。2018年、20年間のアメリカ生活を一旦終えて、家族全員で日本に移住することを決めた。ジュリアちゃんは日本人であるおばあちゃんと話ができるようになるため、3歳頃から日本語学校に通い、来日前から日本語を話すことができていた。

 

日本語を覚えさせるだけであれば日本語学校と母親の竹節さんとの会話で問題はないのではないかと思ったが、移住の狙いはもう少し深いところにあった。

 

「言葉がふたつ話せるバイリンガルなだけじゃなくて、自分のルーツとなっているふたつの国の文化を自分で体験して、吸収してほしいと思った」

 

からこそ、日本でなくてはいけなかった。実際、1年間学校に通ってみてどんな様子なのだろう。

 

「普通の公立の学校なんですが、夏休みにスクール体験をした時にできた友だちもいて楽しいみたいです。宿題が多いと文句は言っていますね(笑)。母親目線だと、親同士のコミュニケーションが少ないかな。積極的にもっと遊ばせようと母親同士で話すんですが、みんな塾と習い事で遊ぶ時間がないんですよね」

知らない国は憧れで見てしまう

勝手なイメージかもしれないが、アメリカは日本よりも個性に柔軟に対応してくれるという印象がある。学校生活を通じて集団生活や空気を読む文化を発達させていくような、日本の教育や指導に不安はなかったのだろうか。

 

「ひとりっ子の女の子は、独特な世界観や強いものを持ってる子が多い気がしていて、意外に惑わされず、巻き込まれずに自分らしさを守れていると思います。いい意味でも悪い意味でも郷に入りては郷に従えで、中に入ってから気づく違和感を大事にしてもらいたい」

 

メディアの問題もあるが、欧米のことを理想化して見てしまうことがよくある。実際、アメリカで子どもを産むことは日本以上に大変なようだ。

 

「日本は子どもを産んでから1週間は病院にいて、それから実家に戻って両親に手伝ってもらいながら過ごす人も多いと思うんですが、アメリカは産んでから2日で退院させられて、いきなり母親業が始まるという厳しさがあった。しかも私の場合は、母が来てくれたとはいえ、英語が話せない母の通訳を私がしなければいけなくて、助けにもなったけ ど違う負担もありました」。

 

2日で退院はニュース等で聞いたことがあったが、竹節さんの産後の大変さは想像に余りある。

 

「先日NYタイムズに、日本では育休後、女性が元のポジションに戻れないことについての記事が載っていたんですが、アメリカの母親たちがそれを見て、私たちも同じだと大騒ぎしていました」。

 

誰しも今いるところの不満を口にするが、それぞれの国でいいところも悪いところもあるのは当然のことなのだろう。

 

医療制度をはじめ日本の優れたポイントはいくつもある。自己責任の国のアメリカに比べ制度設計としてはやさしい。

 

「ただ、日本では小さい子どもを持つお母さんや家族に対して、あまり積極的に手を差し伸べないですよね。アメリカは子どもにやさしくて、知らない子でもハグしたりします。それが正解というわけではないのですが、もう少し小さな子のいる環境にやさしくなったら嬉しい」。

 

スキンシップをあまりしない上に、近所や親戚の付き合いが薄れてきた最近の日本では、多少冷たいという印象を受ける人はいるかもしれない。でも、徐々に日本も変わり始めているように思う。

いずれは去る土地か、最後の土地か

これから最低5~6年はいる予定で、ジュリアちゃんが高校や大学進学でどんな選択をするかによってまた行き先が変わる可能性もあるそうだ。

 

「シェフとして奥渋でCrowley’s California Kitchen というレストランをやっている夫は、アメリカにいた頃、食材として使うきのこや山菜を気軽に山に登って採っていたんですが、その手軽さがなくなったのは残念そうです。いずれアメリカに帰る気もしますが、いま私もまた新たに日本で仕事をやりたいと思っているので楽しみです」。

 

娘が自分で旅立つ先を見つけた時、二人は次なる土地を目指すのかもしれない。

LATEST POST 最新記事

第3回 : 教育の多様性とテクノロジー
第2回:コンヴィヴィアルな家族のあり方
第1回:多様な生き方、暮らし方
トレンドのくすみカラーが満載。軽さも魅力の村瀬鞄行「ボルカグレイッシュ」【2023年入学ラン活NEWS】